昨日、午後0時後半に、母は、トイレを詰まらせた(我が家は水洗トイレ)。
その後、20分ほどして、母は、再びトイレに行った。
詰まっているにもかかわらず、水を流した。
トイレから茶色い水があふれ、床にこぼれた。
我が家には、ぱっこんぱっこんする分がない。
午後1時13分に、民生委員の方に電話をした。
30分ほどして、来てくれた。
ぱっこんぱっこんする分を持って来てくれた。
それを詰まっているところに入れて、押して引いたら、詰まっているのが取れた。
良かった。
運が良かった。
その後、トイレの床を雑巾で拭いた。
便座も雑巾で拭いた。
台所の床と廊下の床も、ついでに拭いた。
私は、これで力尽きてしまった(この程度の体力なのです)。
もう駄目だ、と思い、ケアマネさんに電話。
もう家で看れない、と伝え、グループホームを当たることにした。
同じことを、夜、されたら、終わっている。
そう考えた。
昨日は、午後8時10分に就寝。
今朝は、午前7時10分に起床。
寝床で、もう一度、考えた。
便の始末だけ出来れば、何とか家で看れるのではないか。
+++
昨日、午後5時10分に、「食べる?」と訊いた。
母は、「食べる。」と答えた。
オリーブオイルを引いて、鶏のもも肉をフライパンで焼いた。
それを母の寝床に持って行った。
「要らん。」と。
「食べる、言うたやろ。」と言って、私は、母をビンタした。
右の頬を平手で叩いた(私は左利き)。
「なんぼ、叩いても、要らん。」
私は、我に返って、台所に、もも肉を持って帰った。
しばらくすると、食べる素振りを見せている。
もう一度、寝床に鶏肉を持って行った。
母は黙って起きて、鶏肉を食べ出した。
無理矢理、口の中に鶏肉を押し込んでいるように見えた。
お皿(深皿)の底にあるオリーブオイルも飲んでくれた。
この人、分かっているのか。
ふと、そう思った。
母の場合、左中大脳動脈が枝が詰まっている(私はそう考えている)。
詰まっている血管が養っていたところ(神経細胞やグリア細胞)は、駄目になっている。
しかし、それ以外は、保たれている。
おかしなところとそうでないところがある。
待つことは出来なくなったが、物事を観察し、状況を理解する能力は保たれているようだ。
そう言えば、トイレを詰まらせて、もう一回、トイレに行って、水を流した後(トイレの水をあふれさせた後)、「ごめん。」と言っていた。
アルツハイマー型認知症で、記憶も、理解力も、洞察力も損なわれているのなら(全ての脳機能が一様に損なわれているのなら)、施設に入れることを躊躇したりしない。
まだら痴呆だから(残っている部分とそうでない部分があるから)、迷うんだろう。