「がんに効く生活」とか

1972年生まれ。男性。2013年まで精神科医をしていました。リンクは自由です(連絡不要)。

8月24日(木)から9月7日(木)までの間、入院をしていました。

8月24日(木)から9月7日(木)までの間、A病院に入院をしていた。
診断は、右心不全、肺性心。

2023年2月に母は施設に入っている。
現在、一人暮らし。

8月20日(日)。ヤマト運輸からえごま油12本を受け取った。
居間の段ボール箱にえごま油を入れるのは、いつも通りに出来た。
しかし、段ボール箱をゴミ置き場の裏に置いて、帰って来るのがしんどかった。
しばらく休んで、えごま油の瓶をゴミ置き場に持って行った。
帰りは階段を上って、坂道を上るのだが、帰って来るなり、倒れ込んでしまった。

21日(月)。朝、ゴミ出しに行った。
帰りの坂道を上っている時、息切れがひどく、目の前が真っ暗になった。
公団の団地に住んでいる。
手摺りに摑まりながら、階段を何とか上り、自宅に辿り着いた。
よく1階に住んでいたものだと思う。
帰って来るなり、倒れ込んでしまった。

夕食にクリームチーズ100gと焼き豆腐を食べた。
焼き豆腐300gにえごま油を掛けた。
しかし、200gしか焼き豆腐を食べられなかった。
お豆腐を残すのは、物心付いてから、初めてのことだった。
毎日、牛乳を飲んでいるのだが、この日は欲しくなかったので、飲まなかった。

23日(水)。焼き豆腐を食べることが出来ないと悟り、2階に住んでいる人に電話。
「冷蔵庫に入っている焼き豆腐、全部、持って行って下さい」と言った。
焼き豆腐を全部、持って行ってもらった後、町役場に電話をしてくれたみたいだ。
町の保健師さんが来てくれた。
救急車を呼んでくれた。
父が掛かっていたA病院、家から近いB病院、直腸癌肺転移に対し右中下葉切除術を行ってくれたC病院(現在も通院している)に救急隊が電話をしてくれたが、3ヶ所とも断られた。済生会○○病院にも断られた。
○○医大病院が受け入れ可能ということで、同院に運び込まれた。
血液検査と胸部単純CTの結果、入院の適応はないとのこと。
町の保健師さんと一緒に介護タクシーで自宅に帰って来た。
無茶苦茶、しんどかった。

23日(水)の夜中に便意がして、トイレに行った。
辛うじて、トイレに行くことが出来た。
便を出し、辛うじて、自己導尿を行った後、便器の前に座り込んだ。
嘔吐した。
胃袋そのものが外へ出て来たのではないかという位、激しく吐いた。
この時点で、ただごとではないと確信した。

24日(木)。午前11時頃には町の保健師さんが我が家に来ていた。
この日は、記憶が不確かだ。
居間に洗面器を持って来てもらい、そこで自己導尿をした(洗面器の中におしっこを出した)。
自己導尿を終えた後、カテーテルを洗面器の中に入れ、そのまま、再び倒れ込んだ。
その後、保健師さんがトイレに尿を流し、洗面器とカテーテルをお風呂場で洗ってくれたみたいだ。
「どこかの医院にかかっていないと、病院は取ってくれないみたいだ」という話に保健師さん同士でなったみたいで、午後からD内科医院の先生が往診に来てくれた。
この先生がA病院に電話を掛け、私は受け入れられることになったみたいだ。
保健師さんかD内科医院の先生が119番に電話を掛け、救急車がやって来た。
午後4時頃、A病院に運び込まれた。

左肺は全肺の47%の体積、右上葉は全肺の16%の体積。合計で63%。
この状態が続くと、右心室に負荷が掛かる。
9年3ケ月経つと、肺高血圧症、右心不全になっていた。

しかし、そのことが頭に全くなく(肺高血圧症のことはちらっと考えたことはあったが)、21日(月)、22日(火)の時点で、自分で救急車を呼ぶことが出来なかった。自分でA病院に電話をして、自分の病歴、病状を説明することが出来なかった。

右中下葉切除術を受けてから、脳に血が行かなくなったと感じる。自分を客観的に見ることが出来なくなったようだ。

右中下葉切除術を受けると、癌の再発はなくても、こういう経過を辿るんだ、ということを知って頂けると幸いだ。

 

(続く)

 

今回の入院で、体力がまた一段落ちた可能性があります。コメントに返事をしません。すみません。